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アベノマスクが届いた! [新型コロナウィルス]

今日は訪問診療の日でした
病院から患者へと一枚、政府からのアベノマスクいただきました

呼吸器科の疾患で在宅酸素を必要とする賢治たちには優先的に配布されたのでしょうか?
うちの両親はまだ手にしていません
一家で二枚・・・
みんなで使い回すのかな?
でも、これは賢治に[手(パー)]って来たから賢治のですね
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それで
いただいたお品に文句を言うのはイケナイことなのですが
このマスク
小さいです
頬のあたりが浮いちゃって、かなり自由に呼気が漏れます[あせあせ(飛び散る汗)]
そして
生地はガーゼじゃなくてサラシです
硬い

このマスクのおかげで感染が縮小したら良いのですが・・・・ね

生きていることが辛くなったら [切ないけれどなんとかしなくちゃ!]

生きるのに疲れたら

わたしは
究極の想像をします

---- わたし編 ----

この世でのこの肉体がいらないなら

わたしは

目の見えないかたに角膜を提供しましょう
鼓膜提供ってあるのか知らないけれど
耳の聴こえないかたに何かを提供しましょう

目は見えなくて、耳は聞こえなくなったけれど
どうせこの世でのこの肉体はいらないのだもの
これが手始め

次は
いろいろな移植を待つかたに

心臓を 肝臓を 腎臓を...
すべての臓器を提供しましょう

さて
私は望み通りに肉体を失いました

でも、わたしの心はそのまま
だって魂は提供できないもの

悲しみを背負ったままの 心 が残っている魂だけのわたし

この心が辛くて
生きるのをやめようと思ったのに

そんなはずじゃなかった

わたしは
楽になるつもりで
生きるのをやめようとしたのに

この心のまま
真っ暗で
音も聴こえない
ここがどこかもわからない
体がないからどこへも行けない
何もできない
この心の苦しみを解消できない
ああ
こんなことなら死んでしまった方がまし・・

あら?????? 

死ぬってそういうことなのね
死んでも悲しい魂は残るのね
そして一度死ぬと  
もうどんなに辛くても死ねないのだわ

それなら
今、見えるこの目でテレビでも見た方がまし

ラーメンとか、アイスとか、ポテチとか
食べたくなったら食べれた方がまし

死んだら、どうせ仕事に行けないのだもの
もし眠くなることができたら
・・もし眠れるのなら
もう時間なんて気にしないで
何も気にしないで
目がさめるまで眠ってしまえ!!

たとえば
明日食べるものがないとしたら
明日
警察に助けを求めよう
お役所に行って泣こう
「食べるものを買うお金が無い」ってイオンのサービスカウンターで言ってみよう
きっと係りの人が、解決してくれる所に話しをつなげてくれる

そして
落ち着いたら
わたしが一番頼りにしていたあの人に電話をしてみよう
生きるのをやめる前に
かける恥を全部かいて
それからまた考えてみようかな

これがわたしの究極の妄想


-- こども編 --  (これはわたしからのメッセージ)

将来を悲観してこの子を・・・なんて言わないで

もし
我が子が交通事故にあって救急車で運ばれたと聞いたら
病院にかけつける時 
あなたはどんな気持ちですか?

誰かが自分の代わりに我が子の命を奪ってくれて良かったと思えますか?


もし
我が子がガンで余命わずかといわれたらどんな気持ちになりますか?
あと何ヶ月かで自分の望みが叶うと思えますか?

きっと
助かることを願い
なんとか命が奪われないようにと願うのではありませんか?

でも
我が子の命が当たり前に毎日自分の手の中にあると
自分がこの子の命の行方を決められるような錯覚をおこしてしまう

親は神ではありません

親がいなくてもこどもは生きられます

子の命は子のものです


あなただって同じ
あなたの命が当たり前に毎日自分の手の中にあると
自分が自分の命の行方を決められるような錯覚をおこしてしまう

もしあなたが交通事故に遭ったら、事故の瞬間に何を思いますか?
もしあなたが重い病気になったら? 告知されて何を思いますか?
死にたく無い!!って感情が湧きませんか??


生きていることが辛くなったら

辛い自分を赦しましょう

あなたの命と引き換えに何かが良くなることはありません

そして

命を手放しても 楽にはなれません

この世にいて

お薬を飲んだり 話しをしたり

自分で何かを見つけられるその日まで

とことん自分を赦しながら

ゆっくり ゆっくり

生きましょう







ひきたよしあきさんのFacebook より-太郎坊ちゃんへ- [新型コロナウィルス]

❏ 太郎坊っちゃんへ

あなたに手紙を書きます。 

一律10万円給付に対して、

「手をあげた人には10万円」

と言ったあなたに手紙を書きます。

あなたには、少し難しい話かも
しれません。

でも、大事なことだから、
少し我慢して聞いてね。

これは「税金」のお話です。

「ぜいきん」と読みます。

小学校で「税金」は、「社会の会費」
と習うんだよ。

みんなの安全を守ったり、維持していくのに
かかるお金を国民が「会費」のように
負担しあっているお金。

それを「税金」といいます。

マンガしか読まないあなただから
知らないと思うけれど、
昔、福沢諭吉(ふくざわゆきち)
という偉い先生がいました。

明治時代、世の中の人の多くが「税金」を
知らないときに

「税金とは、国と国民双方(そうほう)の
一致した約束」

と教えました。

「政府は法令を設けて、悪人を取締り、
善人を保護する。

しかし、それを行うには、
多くの費用が必要になるが、
政府自体にそのお金がないので、
税金として負担してもらう。

これは政府と国民双方が一致した約束である」

って「学問のすすめ」という本に書いたんだ。

この本は、
あなたがよく口にする「庶民のみなさん」に
向けてわかりやすく書いています。

ちょっと勉強すれば読めるようになるから、
ぜひ一度読んでみてね。

今、
福沢先生の言われる「善人」が苦しんでます。

真面目にコツコツ働いている人。

お金が稼げなくても
仕事に生きがいをもっている人。

誰かを育てるために、
愛する誰かのために働いている人。

未来ある若者。

ここまでの社会を支えてくれた高齢者。

今、
最前線で戦っていくれているお医者さんや医療関係者のみなさん。

休みたくても休めない生活インフラを支えて
くれているみなさん。

こういう人たちは、「庶民」ではなくて
福沢先生のいう「善人」なんだよ。

その苦しんでいる善人に対し、
政府が、みんなの安全を守ったり、
維持していくために会費(=税金)を使うのは
双方の一致した「約束」なんだ。

いいかい。

あなたがもしかしたら勘違いして
「自分のお金」だと思っているものは、
実は「税金」というものなんだよ。

そしてあなたは、
そのお金の番をするだけの人です。

「仕方ねぇから、手をあげた奴に配ってあげてやらぁ」

と言われても、善人には意味がわかりません。

善人から見ると、あなたが「悪人」に見えるだけです。

税金は、政府のものじゃないんだ。

ここをよくわかってほしい。

人の「いのち」が脅かされているときに、
悪ふざけはいけません。

税金は、善人の安全を守り、維持していくために使うものだという政治家が学ぶべき基礎の基礎を今からでも遅くはないから学んでみてください。

少し難しかったかもしれない。

でも、
何か言い分があるならば、手紙をください。

必ず返事を書くからね。

※ ひきたよしあきさんのFACEBOOKより
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23年前の軟禁生活 [今を歩みつづけるはなし]

このごろ昔の話が続いていますね[あせあせ(飛び散る汗)]

私が34歳頃のお話

賢治が骨髄移植のために入院したのは8月[晴れ]暑い日が続いていました
移植を終えて
無菌室を出て一般病棟へ移り
そして退院したのは年が明けた2月[雪]でした
しかもその日は激しい吹雪でした

帰宅のためのタクシーの中、運転手さんに
真夏に入院したので、あたり一面真っ白で浦島太郎のようです[わーい(嬉しい顔)]
と笑って話したのを覚えています

賢治は移植の拒絶反応をださないための免疫抑制剤を投与されていました
免疫(菌やウィルスをやっつける体内のだいじな免疫です)を
抑制(出ないようにおさえる)する
薬です

ちまたはインフルエンザや風邪流行の頃
そして
クリーンな病室に半年間いましたから、体はとっても弱くなっています

退院してもしばらくの間、病院へ通う以外は自宅から出てはいけない!と言われました

病院へは一日おきに注射を打ちに通いました

当時は江別市におりましたので札幌医大病院まで
冬道は[車(セダン)]早くて片道1時間半
ひどい日は朝、家を出て夕方に帰宅していました
でも
車にいる間は感染のリスクがないので、ある意味、気をゆるめられる時間でした

自宅に帰ってからしばらくは
移植による体の辛さから賢治は、夜通し泣き続けました
昼は昼で
私の洋服の裾を握って離さず、もう片方の手には大好きなプラレールの電車を握り
そのお気に入りの電車[新幹線]を床に叩きつけて、ただただ泣き続けました[たらーっ(汗)]

賢治に言語がない分、きっと私の心労は軽くしてもらっていたのだと思いますが
痛さ、辛さを伝えられない賢治のもどかしさは大変なものだったと思います

しばらくして訪問看護さんが週に2回来てくれることになりました
1回1時間の訪問看護さんの時間に私は命の洗濯をしました[わーい(嬉しい顔)]
家から5分のスーパーでの買い物に25分
スーパーの向かいにある焼肉屋さんでランチの石焼ビビンバ(笑)を食べるのに25分
まるでストップウォッチで計ったようにその1時間をめいいっぱい満喫しました[るんるん]
・・・家に帰ると
そんな気分転換もできない賢治が待っているわけですが[もうやだ~(悲しい顔)]

でも
お天気の良い日は[晴れ]車で山へ行きました
誰も人がいない木々の中を二人で歩きました(当時は歩けるどころか多動[モバQ]だった賢治です)
ただそこでもまた[exclamation×2]禁止事項が
日焼け禁止[exclamation]
虫刺され禁止[exclamation]
これらは移植後の体に悪さをするそうです

結局賢治が外へ出て、人と接触できるようになったのは11月の末でした
1年と3ヶ月の軟禁生活

長いと思われるかもしれませんが
賢治のいた病院には
もっと長く
ず〜っと病院で過ごしている親子がいっぱいでした

退院できただけでも幸せ[ぴかぴか(新しい)]
家で過ごせるなんて幸せ[ぴかぴか(新しい)]

当時の私はそう思えたけれど

コロナ感染拡大で自宅で過ごさなければならない今
みんなへと
例えばそんな闘病生活をイメージして今をこらえて!!と言っても
経験のないものをイメージして共感するのは難しいし
それはそれ
やっぱり自分の不自由さは
それとは別と考えるかもしれません

ただ
そんな時にはシンプル

なぜ?
なぜ自宅で過ごした方が良いのかな?

自分の命
家族の命
大切な友達の命

あなたが好きな人が
あなたの知らない誰かから
知らないうちに
命を奪う恐ろしいウィルスをもらったら?
いえ
あなたが
誰かの大切な人の命を
知らないうちに・・・

それもあるのです

誰も、誰かの命を奪いたくはない
けれど
今はそれがあり得る大変な時なのです[ふらふら]

大げさではなく
そんなイメージを持って
みんなで
今を過ごさなくちゃ[exclamation×2]

緩んでいます・・・日本は大丈夫? [困ったはなし]

札幌は火曜日から再び休校となりました。
明日は全国に緊急事態宣言がでるようです。
再開も束の間、私はまたレッスン休止に入りました。

我が家は小さな公園に面しています。
火曜日から今日まで毎日
公園にはたくさんの小、中学生の子供が集まって
日が暮れるまで
マスク無しで
友達同士くっついて
大きな声をあげて遊んでいます。

第一回目の休校時には、子供の姿はありませんでした。

[猫]ちゃんが公園で遊んできたって言ってたから、私も明日行こうっと!

[猫]ちゃんと[犬]ちゃんが一緒に遊んでいたから私も一緒に遊ぶ!!

なんで私だけ家で我慢しなきゃならないの?
[猫]ちゃんも、[犬]ちゃんも、[ドコモ提供]ちゃんも、みーーんな一緒に遊んでるんだから大丈夫。

なんだか、少し前に若い人が街頭インタビューで

コロナ?怖くない、ってか自分、かからないし

と語っていたのが
今は小、中学生に下りたようです。
いえ、
公園に親の姿が全くないので
親が麻痺してしまったのでしょうか?
すっかりコロナ規制慣れしてしまったのは
コドモなのか、オトナなのか

保健所に電話をして
「我が家の前の公園にコドモがあふれていますけれど
学校からの指導はどのようになっているのでしょう?」
と聞きました

「三密を避けていれば大丈夫ですが、密着して遊んでいるのはダメですね。
でも保健所には強制力はありませんので。」

「ではこのままでよいのでしょうか?」

「保健所には強制力がないので[あせあせ(飛び散る汗)]

「では、[クリスマス]公園では毎日、子どもがいっぱいという現状だけお伝えしておきますね」
そんな意地悪な言い方で私は電話を切りました。

ちょうどその時、シドニーに住む友人から電話がありました。
オーストラリアでは
散歩はしても良いが一人でのみ
誰かと並んで歩いてはいけない
立ち止まってはいけない、歩き続けること!
人とは1.5メートル以上離れて
街の中はいたるところに警官がいて警戒しているそうです。

私の電話機を通してシドニーの彼女が聞く
子どもたちがワイワイと遊んでいる声は
日本の感染状況からみると
全くもって信じられない現実

日本は大丈夫なのでしょうか?

第15回 しんか展 入選 [絵画]

初めて応募した 第15回しんか展 から
 入選

のお知らせが届きました。

しんか展 
 インスタグラムで #しんか展 で検索ください。

ただ今回は コロナ感染予防のため、表彰式等は中止です。
絵は
6/16(火)から21(日)にギャラリーエッセにて展示の予定です。
ギャラリーエッセ
北海道札幌市北区北区北9条西3丁目9−1 ル・ノール北9条
http://www.esse.co.jp/gallery/

未発表の絵が対象でしたので
賢治は新作のバラの絵に 「The Rose」のタイトルをつけて応募しました。

植松被告に死刑判決が下されて [ちまたで話題の]

(他のサイトからの記事をコピペします)



死刑が判決が言い渡されました」(テレビのニュース)

また何の学びもない世界が続くのかな。人数の問題ではないです」(安積遊歩さん)

札幌に住む、安積遊歩(あさか・ゆうほ)さん。
生まれつき骨がもろい難病があります。
かつて障害者への強制的な不妊手術を認めた「優生保護法」。
安積さんは、1994年にエジプトで開かれた国際会議で優生保護法の問題を訴え、これがきっかけで法律の廃止に結び付きました。

 
障害者を「生産性がない」「いても意味がない」として、存在すらも否定した植松被告。

「ひとりひとりの障害をもったひとが地域でいきいきと暮らす社会づくりは、どういうふうにできるかというのを、この事件から徹底的に学ばなければいけない、にもかかわらず、死刑か死刑じゃないかなんてレベル低すぎ」(安積遊歩さん)

 しかし、安積さんは、被告への怒りよりも、被告を生み出した社会、そして死刑制度そのものに疑問を呈します。

 「優生思想の極みである死刑制度を徹底的に問い直してほしい。彼が本当に罪を悔い改めるような長い年月、プログラムが必要だと思う」(安積遊歩さん)

 死刑判決で事件を終わりにするのではなく、いまだ社会に残る「優生思想」、障害者への差別について向き合ってほしいと訴えています。

やまゆり園事件のあと、外出が怖くなりました 前編
https://mitsui-publishing.com/gift/column_02/yuhoumi25

やまゆり園事件のあと、外出が怖くなりました 後編
https://mitsui-publishing.com/gift/column_02/yuhoumi26

コロナ関連で思う どうしてここまで生きてこれたか [新型コロナウィルス]

コロナ?怖くない(笑)
かかったらかかったでなんとかなるしー (笑)(笑)
だって あれっしょ?インフルエンザのちょっと強いみたいな
騒ぎすぎ〜(笑)

テレビ画面の中で
若い人たちが笑いながら語っていました

ふと、経験値について考えました

私の両親は高齢で
今、初めて迎えた『コロナウィルス』をうまくイメージできません

でも、戦後の混乱で、食べ物、着るもののない時代や
とても不衛生だったころを知っています

当時は不治の病だった肺結核
日本脳炎
腸チフス
最近は聞くことがなくなったこれらの名前を
私は幼い頃、両親の口からよく聞きました

○○したらお腹をこわすよ!
○○したら風邪をひく!!
○○なんて事をしたら大変なことになる!!!

親から聞いた色々は 親の経験値の分だけ私を守りました


私はこどもの頃、怖い遊具が大好き[るんるん]でした
札幌の山鼻地区で育った私は
お小遣いがたまると、友達と自転車で
中島公園にあった「こどもの国」に向かいました
おめあては、そこで唯一の怖い系遊具の "空中回転ロケット"です
怖さを追求して
後ろ回転になる席を選んだり
あっちの青いほうのロケットがより激しく動く!!なんて分析して
その"空中回転ロケット"だけに3、4回乗るのがとても贅沢な遊びでした
(当時一回30円くらいだったと思います)


私が小学校6年生頃は、マンション建設が盛んになった頃でした
山鼻から、豊平川を渡るとすぐに中の島です
そこに新しく立つ高層のマンションの姿はこども心に遊園地以上の魅力でした
今では考えられませんが
建築中の当時
私は友人とそこに遊びに行き
エレベーターに乗って屋上へ!!
フェンスも何もないギリギリ端まで行って下を見て
[わーい(嬉しい顔)]高〜い[グッド(上向き矢印)]
なんてはしゃいでいました
今、ネットで調べるとそのマンションは10階建てとありました
5階立てのアパートでも高い建物だった当時、10階はやはりかなり高かったと思います

10代20代のはじめ頃の私は
ジェットコースターなんて全然平気
ディズニーランドで初めてスペースマウンテンに乗った時
怖さじゃなくて、電飾の美しさに感動して
綺麗〜[ぴかぴか(新しい)] キレイ〜[グッド(上向き矢印)]を連呼したのを覚えています

さて、何が言いたいかといいますと[わーい(嬉しい顔)]

そんな怖いものしらずの私は
25歳頃から、そして今現在も
高所恐怖症&スピード恐怖症です
高所に関しては、小さなこどもが乗るような観覧車もダメです

何か衝撃的な出来事があったわけではありません

ただ私は25歳で親になったのです

子を抱っこしていて
犬や猫だったら、この高さから落ちても全然平気だけれど
この子はここからスルッと滑って床に落ちるだけで命に関わるんだ!!と思った時
これまで、親や周りの大人に守られている立場だった自分が
今は、自分が子を守らなければ!!
その責任の交代に
ちょっと頭をガツンとやられたくらいの衝撃とともに自覚を持ちました

命って繋がっているのだな・・・と

今は
かつてしっかり者だった両親には感謝の意を込めて
そして大切な子には、変わらぬ親の愛を込めて

守れる者が守るべき人を守る

思いやり、優しさを持ち
自分のこれまでの経験を生かして

そうしてみんな生きてこれたのだと思うんです




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