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コロナ関連で思う どうしてここまで生きてこれたか [新型コロナウィルス]

コロナ?怖くない(笑)
かかったらかかったでなんとかなるしー (笑)(笑)
だって あれっしょ?インフルエンザのちょっと強いみたいな
騒ぎすぎ〜(笑)

テレビ画面の中で
若い人たちが笑いながら語っていました

ふと、経験値について考えました

私の両親は高齢で
今、初めて迎えた『コロナウィルス』をうまくイメージできません

でも、戦後の混乱で、食べ物、着るもののない時代や
とても不衛生だったころを知っています

当時は不治の病だった肺結核
日本脳炎
腸チフス
最近は聞くことがなくなったこれらの名前を
私は幼い頃、両親の口からよく聞きました

○○したらお腹をこわすよ!
○○したら風邪をひく!!
○○なんて事をしたら大変なことになる!!!

親から聞いた色々は 親の経験値の分だけ私を守りました


私はこどもの頃、怖い遊具が大好き[るんるん]でした
札幌の山鼻地区で育った私は
お小遣いがたまると、友達と自転車で
中島公園にあった「こどもの国」に向かいました
おめあては、そこで唯一の怖い系遊具の "空中回転ロケット"です
怖さを追求して
後ろ回転になる席を選んだり
あっちの青いほうのロケットがより激しく動く!!なんて分析して
その"空中回転ロケット"だけに3、4回乗るのがとても贅沢な遊びでした
(当時一回30円くらいだったと思います)


私が小学校6年生頃は、マンション建設が盛んになった頃でした
山鼻から、豊平川を渡るとすぐに中の島です
そこに新しく立つ高層のマンションの姿はこども心に遊園地以上の魅力でした
今では考えられませんが
建築中の当時
私は友人とそこに遊びに行き
エレベーターに乗って屋上へ!!
フェンスも何もないギリギリ端まで行って下を見て
[わーい(嬉しい顔)]高〜い[グッド(上向き矢印)]
なんてはしゃいでいました
今、ネットで調べるとそのマンションは10階建てとありました
5階立てのアパートでも高い建物だった当時、10階はやはりかなり高かったと思います

10代20代のはじめ頃の私は
ジェットコースターなんて全然平気
ディズニーランドで初めてスペースマウンテンに乗った時
怖さじゃなくて、電飾の美しさに感動して
綺麗〜[ぴかぴか(新しい)] キレイ〜[グッド(上向き矢印)]を連呼したのを覚えています

さて、何が言いたいかといいますと[わーい(嬉しい顔)]

そんな怖いものしらずの私は
25歳頃から、そして今現在も
高所恐怖症&スピード恐怖症です
高所に関しては、小さなこどもが乗るような観覧車もダメです

何か衝撃的な出来事があったわけではありません

ただ私は25歳で親になったのです

子を抱っこしていて
犬や猫だったら、この高さから落ちても全然平気だけれど
この子はここからスルッと滑って床に落ちるだけで命に関わるんだ!!と思った時
これまで、親や周りの大人に守られている立場だった自分が
今は、自分が子を守らなければ!!
その責任の交代に
ちょっと頭をガツンとやられたくらいの衝撃とともに自覚を持ちました

命って繋がっているのだな・・・と

今は
かつてしっかり者だった両親には感謝の意を込めて
そして大切な子には、変わらぬ親の愛を込めて

守れる者が守るべき人を守る

思いやり、優しさを持ち
自分のこれまでの経験を生かして

そうしてみんな生きてこれたのだと思うんです




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