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23年前の軟禁生活 [今を歩みつづけるはなし]

このごろ昔の話が続いていますね[あせあせ(飛び散る汗)]

私が34歳頃のお話

賢治が骨髄移植のために入院したのは8月[晴れ]暑い日が続いていました
移植を終えて
無菌室を出て一般病棟へ移り
そして退院したのは年が明けた2月[雪]でした
しかもその日は激しい吹雪でした

帰宅のためのタクシーの中、運転手さんに
真夏に入院したので、あたり一面真っ白で浦島太郎のようです[わーい(嬉しい顔)]
と笑って話したのを覚えています

賢治は移植の拒絶反応をださないための免疫抑制剤を投与されていました
免疫(菌やウィルスをやっつける体内のだいじな免疫です)を
抑制(出ないようにおさえる)する
薬です

ちまたはインフルエンザや風邪流行の頃
そして
クリーンな病室に半年間いましたから、体はとっても弱くなっています

退院してもしばらくの間、病院へ通う以外は自宅から出てはいけない!と言われました

病院へは一日おきに注射を打ちに通いました

当時は江別市におりましたので札幌医大病院まで
冬道は[車(セダン)]早くて片道1時間半
ひどい日は朝、家を出て夕方に帰宅していました
でも
車にいる間は感染のリスクがないので、ある意味、気をゆるめられる時間でした

自宅に帰ってからしばらくは
移植による体の辛さから賢治は、夜通し泣き続けました
昼は昼で
私の洋服の裾を握って離さず、もう片方の手には大好きなプラレールの電車を握り
そのお気に入りの電車[新幹線]を床に叩きつけて、ただただ泣き続けました[たらーっ(汗)]

賢治に言語がない分、きっと私の心労は軽くしてもらっていたのだと思いますが
痛さ、辛さを伝えられない賢治のもどかしさは大変なものだったと思います

しばらくして訪問看護さんが週に2回来てくれることになりました
1回1時間の訪問看護さんの時間に私は命の洗濯をしました[わーい(嬉しい顔)]
家から5分のスーパーでの買い物に25分
スーパーの向かいにある焼肉屋さんでランチの石焼ビビンバ(笑)を食べるのに25分
まるでストップウォッチで計ったようにその1時間をめいいっぱい満喫しました[るんるん]
・・・家に帰ると
そんな気分転換もできない賢治が待っているわけですが[もうやだ~(悲しい顔)]

でも
お天気の良い日は[晴れ]車で山へ行きました
誰も人がいない木々の中を二人で歩きました(当時は歩けるどころか多動[モバQ]だった賢治です)
ただそこでもまた[exclamation×2]禁止事項が
日焼け禁止[exclamation]
虫刺され禁止[exclamation]
これらは移植後の体に悪さをするそうです

結局賢治が外へ出て、人と接触できるようになったのは11月の末でした
1年と3ヶ月の軟禁生活

長いと思われるかもしれませんが
賢治のいた病院には
もっと長く
ず〜っと病院で過ごしている親子がいっぱいでした

退院できただけでも幸せ[ぴかぴか(新しい)]
家で過ごせるなんて幸せ[ぴかぴか(新しい)]

当時の私はそう思えたけれど

コロナ感染拡大で自宅で過ごさなければならない今
みんなへと
例えばそんな闘病生活をイメージして今をこらえて!!と言っても
経験のないものをイメージして共感するのは難しいし
それはそれ
やっぱり自分の不自由さは
それとは別と考えるかもしれません

ただ
そんな時にはシンプル

なぜ?
なぜ自宅で過ごした方が良いのかな?

自分の命
家族の命
大切な友達の命

あなたが好きな人が
あなたの知らない誰かから
知らないうちに
命を奪う恐ろしいウィルスをもらったら?
いえ
あなたが
誰かの大切な人の命を
知らないうちに・・・

それもあるのです

誰も、誰かの命を奪いたくはない
けれど
今はそれがあり得る大変な時なのです[ふらふら]

大げさではなく
そんなイメージを持って
みんなで
今を過ごさなくちゃ[exclamation×2]

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