SSブログ
未分類 ブログトップ

第18回しんか展 入選

第18回しんか展
今回は4点応募しました。
この4点ともに入選のお知らせが届きました[ぴかぴか(新しい)]
 
そして
 
そして
 
そして
そのうちの一点がしんか展の大賞、しんか賞を受賞しました[るんるん][ぴかぴか(新しい)][るんるん][晴れ][るんるん][グッド(上向き矢印)]
展示は6月です。
またあらためてお知らせしますね[かわいい]

第17回しんか展 入選

[ぴかぴか(新しい)]第17回しんか展に入選のお知らせが届きました[ぴかぴか(新しい)]
今回はこの二点が入選です
映り込み等あってきれいな画像ではないのですが[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
          [るんるん][かわいい][るんるん][かわいい][るんるん][かわいい][るんるん][かわいい]
これは
「Silver Lining 〜希望の兆し〜」
今回 にじのふね賞を受賞です
IMG_7582.jpg
そしてもう一点の入選はこの
「Christmas Songs」
IMG_7581.jpg
第17回しんか展
札幌での展示は
2022年6月14日から19日の6日間
札幌市北区北9条西3丁目9-1
ギャラリー エッセ にて

申し訳ありませんm(_ _)m

このたび、絵画展が中止になりましたことを
皆様へお伝え出来ず
わざわざ、おこし下さったのに
中止になっていたとのご連絡をいただいておりますm(_ _)m
本当に申し訳ありません。
また、今回、会場のらいらっくぎゃらりい事務局も、木曜、土曜、日曜と、稼働しておりませんでしたため、
お問い合わせの電話がつながらず、
皆様にはご迷惑をお掛け致しました。

このような急な中止時のご連絡方法を、ちゃんと考える事を次の課題と致します。

そして
私事ですが
この冬に、私はバックアップのやり方を間違えて、自分の連絡帳に入っていた皆様のメールアドレスやお電話番号を消失してしまいました。
このごろ、私からのメールが来ないなぁ〜?と思っていらっしゃるかた。
恐れ入りますがご連絡いただけると助かります。m(_ _)m
それでは
 誠に申し訳ありませんでした。

                       渡邊美津子

絵画展、会期を残しての終了について

地震の影響で停電となり、止まっていた地下鉄が、今日動き出しました。
これで少し、生活がスムーズに流れると思います。

絵画展の方も再開は可能なのですが
これから、まだ余震があるかもしれないなどを考えますと
絵画展へおこし下さったお客様への安全を確保出来ない事と、
まだ、
停電で不自由な生活をなさっているかたがたくさんおられる中
また
会場のビルにしても、
ビル全体で、節電を呼びかけているのに
ギャラリーだから!といって、作品にライトをあてて、電気を使うことが、余りに心苦しいため
らいらっくぎゃらりいさんと話し合いをして
今回は、地震前日の9月5日の展示をもって絵画展を完全終了と致しました。
この土日に絵画展へと思っていて下さった方々には誠に申し訳ありません。
どうぞご理解下さいませ。
我が家は幸運にも、かなり早くに電気が復旧しました。
被害も家財の破損で済み、賢治や両親に怪我はありません。
しかし
同じ町内でも、まだ、停電のエリアがあります。
そこで
携帯の充電などに、我が家の電気を使っていただいています。
また、
家の前の公園へお水を汲みに来ているかたもいます。
まだまだ大変だなぁと心が痛みます[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
今回
地域で助けて合っての精神を久しぶりに実感して感謝した出来事がありました。
[桜][ぴかぴか(新しい)][桜][ぴかぴか(新しい)][桜][ぴかぴか(新しい)]
我が家が停電時に、賢治が使う医療機器の電気が無く大変困っておりました。
以前から
車のシガーライターから電気を取る機械を持っておりましたので、
いざという時はこれを使える!と思い、焦りが無かったのが一番の問題でした。
ところが
機械が突然故障[あせあせ(飛び散る汗)]
ダメもとで
我が家の近くにある老人施設へ行き、職員さんに
自家発電機をお持ちでしたら、使わせていただけませんか?と聞くと
快く、
「どうぞ」と応えて下さいました。
賢治を車椅子に乗せて、その施設へと行くと、
複数の職員さんがすぐに発電機の準備をして下さいました。
電気をお借りして、半日遅れましたがステロイド剤等の吸入をして
本当に [ぴかぴか(新しい)] ホッ[ぴかぴか(新しい)]と安心しました。       
こんな災害の中にあって
ご自分のお仕事だけでも大変なのに
近所の人を助けよう!
と思う心の広さ、優しさ。
私もそんな人間でいたいなと思うとともに、
命にかかわることへの準備の足りなさを猛省しました。            
おかげさまで賢治は元気です。 
今日はお風呂に入れてあげられました。
賢治はゆったり気分で機嫌よくニコニコしていました。
そして疲れが出たのか
今、ウトウトしています。
2BA8D14E-A2B4-4671-B947-75A7C545F4D6.jpeg
余震がありませんように!
少しでも早く復旧しますように!
皆様のご家族がご無事でありますように!
AA3BD45E-3CF0-4D0E-AE09-5BDA754219AE.jpeg

絵画展中止のお知らせ

このたびの絵画展は
中止と決定致しました。




地震のため本日休みます

今朝3時に発生した大きな地震のため
とりあえず
本日の絵画展はお休みします
賢治は怪我も無く無事です。
停電で医療機器が使えずに困っています。
皆さんも、どうぞ
お気をつけて

手術終了

10時過ぎに手術室に入り
14時半頃に無事にICUに戻ってきた賢治と会いました。

今、医師からの話しがありました。

圧迫していた、骨、靭帯等を取り除きましたが
気管の広がりは見られず

あと2、3日以内に、今、酸素を送っているチューブを外すことを迫られます。

チューブを外して、賢治が自発呼吸が出来るかは
もう賢治の生命力、運、です。

賢治を愛してくれている親族のかた
どうか賢治と会ってやって下さい。

私は奇蹟を信じます。
私はあきらめません。
親が子に対しての思いとは
究極は
生きていてくれたらそれで良い
なんですよ。

親は自分の思いなんて二の次三の次

子が幸せに生きること
ただそれだけが望みです。

明日 手術

皆さまへ
ご心配をお掛けしておりますm(_ _)m

賢治の鎖骨などを切除して、気管が広がるスペースを作る手術は
明日の午前中に始めるそうです。

まずは明日の手術を無事に乗り越えて
そして、気管が広がることを
願っていて下さい。

たくさんの応援メールをいただき
本当にありがとうございます。

賢治があんなに頑張っているのですから
母親の私もしっかりしなければ!と思います。



今夜 HBCラジオ 多恵子の今夜もふたり言で

8/20(日) 今夜21時からの
HBCラジオ 『多恵子の今夜もふたり言』
今日の放送の内容はこちらです。

http://hbc.co.jp/radio/futarigoto/index.html

そして
河原多恵子さんが放送の中で
賢治の絵画展についてのご案内をお話ししてくださいます[るんるん]

是非お聴きくださいネ[かわいい]

相模原の事件

過敏に反応して話したくは無いです。
でも犯人の言い分を聞くと、思うところがたくさんあります。

それにしても

いつも、何度も書いている通り
本当に、障がい者=不幸 でしょうか?

むしろ
そう思ってしまう人に

知らないのね。本当の意味で。
経験が無いのね。本当の経験が。
だから、実感がないのね。

あなたが、彼らに
本当の愛の心を向けたなら、
彼らこそ、
あなたの愛を必ず受け止めてくれる存在。

と言いたいです。

糸賀一雄さんの  
「この子らを世の光に」
ご興味のある方は検索してください。

私は学生時代に授業で習いました。

今回の事件を受けて
テレビで「この子らを世の光に」をとりあげているのを見て改めて思い出しました。
私がこの25年ほどを歩んできた基本の思いは、あの18歳、19歳の学生の頃に作られたように思います。


私の息子は重複障がいの最重度ですが
とても愛おしいです。
生まれたときから愛おしかったです。
障がいがあるとわかった時、もっと愛おしくなりました。
そして、この愛というものは、息子が私に教え与えてくれたところが大きいです。

その障がいゆえ、生と死が隣り合わせの生活の中でも
ずっと、
それに怯える事なく
いつも希望を持って歩いています。
希望とは、
生きる楽しみのことです。
息子も私も
それぞれに楽しんで生きています。
息子と私、
互いの愛は薄れることなく、それは周りの人々へと伝わって
どんどん愛の輪が大きく膨らみました。
息子の存在はすごいです。


暗い暗い先の見えないトンネルの中を歩いているように感じたのは
血の通わない社会のシステムの中に置かれた時です。

たくさん声をあげると社会のシステムは変わっていきました。
新しいシステムもできました。

みんなで作るのが社会です。
みんなが豊かに幸せに暮らせる社会をつくるのが人の使命です。
息子がいたから、私は社会に興味を持ちました。

人は誰に教えられ、救われ、力をもらい生き進めれらているのでしょう?
息子の病気や障がいと向き合うことで、私は本来の怠惰な性格を直されました。
今の自分になれて良かったと思います。

息子の絵と出会えたのも
息子が障がいを持ったからだと思います。

息子に障がいがなければ、また別の生活があったでしょうが
私は今の生活、
そして
これまでの人生すべてに感謝しています。

人からいただく愛に助けられながら

さて
絵画展の準備をそろそろ始めよう[手(グー)]
いや
一週間後に迫ったピアノの発表会が終わってからにしよう[わーい(嬉しい顔)]
なんて[あせあせ(飛び散る汗)]やっぱりスタートの遅い私ですが
いつも絵画展の準備をしている時は
これまでの出来事が想い出されます。

「Kenjiぼくのうた」は、特別展示をのぞいて、9回目となりました。
ここまで続けてこられたのは
なんと言っても
会場にきて下さるお客様からいただく愛に助けられて[黒ハート]
なのだと思います。

いつも来てくださる友人、知人の皆様にはもちろんのこと[ぴかぴか(新しい)]m(_ _)m
いつも[揺れるハート][揺れるハート]をありがとうございます。
また
たまたま新聞の記事を目にして・・・
テレビをご覧になってなんとなく・・・
知人から聞いてなんとなく・・・
そういった方々から頂く愛もまた
本当に私たちの心の励みとなって
こうして9回目を迎えられています。

前回のエピソードを優香のブログから拝借
[かわいい][かわいい]毎回、会場で涙を流してくださるお客様は少なくありません。
「もうダメかと思っていたけれど、もしかして何かがあるかもしれないと思って来てみてよかった。もう少し頑張ってみようかしら。」
かつてこれを聞いた経験は一度や二度ではありません。
ご老人、手術をなさった方や、心が疲れている方、身体が疲れている方。
この世の中に果たしてどれほどの人が色々な悩みを抱え、何かしらの救いを求めているのか。
その何かを優しく受け止めて、何処かへと導いてくれる賢治の絵も、
何かを賢治の絵から受けとってくださる方々も、共に、本当に素晴らしいと私はおもいます。

受付で涙をポロポロ流しながら、
「二年間かけて貯めたの、画用紙代にしてね。」
と言って、賢治へ贈り物をしてくれた小柄なおばあちゃんがいました。
きっと前に見てくれた個展から、今回までの期間、毎日毎日、賢治を想ってくれたのでしょう。

頂いたのは、紛れもなくおばあちゃんのあたたかい心でした。[かわいい][かわいい][かわいい](優香のブログより)

この時にいただいたこの贈り物
写真-12.JPG

二年間のおばぁちゃんの愛を今回、絵画展開催に使わせて頂きますね[ぴかぴか(新しい)]

少し早い優香のお誕生会

[ぴかぴか(新しい)]8月4日[ぴかぴか(新しい)]
優香25歳の誕生日

東京へ行ってしまうので
少し早めのお誕生会
=?ISO-2022-JP?B?GyRCPEw-PxsoQi5KUEc=?=-8.jpeg

もうすぐ誕生日

=?ISO-2022-JP?B?GyRCPEw-PxsoQi5KUEc=?=-5.jpeg


もうすぐ23歳の誕生日を迎える賢治です。
私はもうすぐ、自分のピアノ教室の発表会。
早めにプレゼントのベッドシーツ(笑)を用意しました。
         ↑メインヘルパーさん指定[手(パー)]賢治の好きそうなキャラクター柄のシーツ
キャラクター柄はどこにもなくて、なんと[あせあせ(飛び散る汗)]やっと見つけた柄はサファリ〜な感じのシマウマ柄[たらーっ(汗)]
カワイイというよりケバい[ふらふら]

一年に一つずつ年齢を重ねられることが
とても幸せに思えます。
賢治が
そして私が。

たくさんのヘルパーさんのシフトを、メインヘルバーさんが整えて
賢治の毎日は成り立っています。

先日、賢治のPAヘルバーさんのひとりが言ってくださいました。
「家族に障がい者がいようと、家族にも家族の人生があって良いはずだと私は思ってきました」
「私たちはこれが(介護が)仕事だから出来るんです。家族なんだから一生(無休、無給で)続けなさい!と言われても、それは無理な話しですよ」

賢治は私が27歳の時に生まれた子です。
優香はまだ一歳半でした。
ですから、私の感覚では、25歳で優香を産んでから、ずっと休みのない育児と、それに続く介護の日々でした。
それから25年経って50歳の今
PA制度のおかげでヘルパーさんが賢治の介護をしてくださるようになって
私は25年ぶりに、
また、自分の、新しい人生の道を探せるようになりました。

身体と心は25年前とはちがって
かなりガタがきています。
そのメンテナンスから始めようと思います。
何年もかかりそうですが
本当の私らしくなりたいと思っています。

こどもたちの誕生日がくるたびに
色々なことを思い出します。
私がもっともっと歳を取ったとき
すべてを
笑顔で話せるようになっていられたら
私は幸せものです。



生まれてきたこと

CIMG6699.JPG

[かわいい][かわいい]咲いた[かわいい][かわいい]
一週間前に植えたちいさな球根
「四葉のクローバーの花」 
と書いてあった[ぴかぴか(新しい)]
[ぴかぴか(新しい)]幸せな気持ちになれそうで[ぴかぴか(新しい)]植えてみた
[かわいい][かわいい][かわいい]嬉しい[かわいい][かわいい][かわいい]
生まれてくる 命
生き続ける 命

どれだけ それが 尊いか
感動するほどに
。。。。わかっているはずなのに

現実は
小さな石ころに つまづく 日々です。

もし私が今
「生まれてきたことに疲れたよ」と賢治に言ったなら
賢治は
「(-。-)y-゜゜゜本当の地獄を見とらん母さんには
そんな事、語らせないゼ」と
クールに笑うだろうな(笑)

賢治は
二歳になったばかりのころから
何度もの手術が続きました。

体にメスを入れるなんてものだけじゃなくて
頭蓋骨にドリルで穴を開けて
脳をいじるなんて・・・
想像したたけで
私は震えました

何度も何度も
色々な手術をして。。。

今は
きっと
窒息の恐怖と闘いながら
それでも
死ぬもんか!!!!!!!!Y(>_<、)Y
って

苦しみ、辛さを越えて
笑顔を見せてくれているんだよね。賢治。



北海道新聞が連載で24時間介護の現状を載せていました。
家族の負担、本人の辛さ、国の制度
そして
札幌市独自のPA制度について

私が以前からこのブログで書いている
   「PA制度」
在宅介護で
この24時間介護を乗り切る方法として
私がPA制度を知ったのが二年と少し前
その日から私は企画を立てては
自宅や区役所に関係者の方々に集まっていただき
会議を開き
また、人員を募り
面接、契約、研修

長いプロセスを経て
今に至っています。

私の母は
その北海道新聞の切り抜きを私の前に置いて
「参考になるから読んでおきなさい」
と言って行きました。

母は
新聞記事を読んで
よその(障害者のいる)おうちの方々も大変そうだけれど
でも、なんとかしなければ!!と頑張っている。
美津子もこれをお手本に!!
と思ったようです。

隣の芝生は青く見える。。。じゃないですが
自分の娘(私)はまだ未熟で、前へ進む道を知らないのでは??母の私が教えてあげなくては!!と
心配??してくれているのでしょうが[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]
もう、それやっていたよ、、お母さん(笑)

24時間介護実現のために
もう二年前から私は
PA制度を始めていることを
説明したけれど
具体的には理解できていなかったんですね。

新聞記事で
客観的にそれを知って
やっと
我が家になぜ、何人ものヘルパーさんが交代で出入りをして
夜から朝まで、誰か他人が自宅にいることを
今回
やっと理解できたようです。

確かに
障害者の生活は昔とは変わりました。
そういう時代へと変わって行っています。
良い時代へと。。。どんどん変わってほしいと思います。

PA制度のおかげで私は
二十年以上できなかったことができるようになりました。
思い立った時に、3分先のコンビニへ、いつでも気軽に外出[手(チョキ)]
夜間介護をしなくなり
体と心がやっと楽になって
やっと、眠れるようになった


母は私を生んで
しなくても良い苦労をしました。
昔の家の嫁として
私がいたばっかりに。。。

私を生んでくれた母
今も時々私に、お小遣いをくれる母
孫がいるような年齢の私を
小学生(笑)のように心配する母

優香や賢治が私の子供であるように
私もまた、親のもとでは、永遠の子供なんですね。

私は
ここまで
走り続けてきました。
それなりに苦労はしたと思います。


わたしは
息子の看護、介護を

他人様に任せられるようになって
50歳を迎えるときになって
やっと、自分の生きたい人生を欲する自分と出会い
なかなか頑固に心にこびりついている
過去を洗いながら
自分の明日を夢見ています。


ラーメン食べたよ

ラーメン食べました[るんるん]
賢治ラーメン食べる1.jpg

「あむあむ[キスマーク]

「おいしかったぜ[揺れるハート]
うまいぜ.jpg

優香へ

優香へ.jpg

11月の賢治

11月の賢治.jpg

今月の賢治

賢治は元気です。
日に日に目に力が湧いているような気がします。


お世話になりました<(_ _)>

長くお世話になっていた
ヘルパーさんが
急逝されました
8月24日
突然の知らせを受けました
病で入院中だったものの
その入院から一カ月も経たぬうちに
逝ってしまうとは


今年の一月
賢治が重症肺炎になり病院へと運び込むとき
彼が病院へ移送をしてくれたヘルパーさんです。
賢治を心配して
賢治の好きな飲み物を買いに走ってくれて
賢治のお気に入りのおもちゃを鳴らしては賢治を元気付けてくれて
入院の用意や車の手配 色々 色々と
気を回してくださって

賢治の退院と回復を喜んで
「よし!! 賢ちゃん、今度パパさん(彼は皆にとってのパパさんなので皆がこう呼びます)と、ドームに野球見に行こうな」
そう言っていたのが
ついこの前です。

こんな形でお別れの日が来るなんて

人の命
すべての命

生かされている者は
これを大切にしなければ
また
悲しみとともに学びました

奥さま、お子さんたち、そしてたくさんのお孫さんに看取られての最期だったそうです
57歳は若すぎるけれど
たくさんの家族に看取られて終えられる人生だったことは
素晴らしい人生だったと言えると思いました



パパさんが眠る横で
賢治は左目からホロリと涙を流しました
賢治からパパさんへの最初で最後のプレゼント
小さなラベンダーの花束を
パパさんはお棺の中へと持って行ってくれました


どうぞ
安らかにお眠りください
本当に
お世話になりました
私たちは
これからもがんばります。
どうぞ 
どうか
見守ってください。

ありがとうございました
文入 三津男さん
私たちは忘れません。いつまでも。


今年の 新カード 出来上がり☆

[かわいい]
出来ました
[かわいい]
2008年postcard.jpg

わーい[黒ハート] わーーい [揺れるハート] わーーーーい[キスマーク]


コメント(4) 

英語でのプロフィール

Kenji Watanabe

Kenji was born on 24th June 1990 in Sapporo, Japan. He lives in Sapporo and attended a special school. When he was born he was very cheerful and mischievous. He liked to sing, listen to music, play with his train set and enjoyed sports, such as soccer. At the age of six he was diagnosed with Hunter Syndrome.This is a rare, incurable degenerative disorder caused by a failure to build connective tissues all over the body. At the moment there is no effective treatment and no available medicine. The only way to stop its advance is through marrow transplantation. Kenji was very lucky because his marrow type matched his older sister Yuka’s. In 1997 he underwent marrow transplantation operation. After spending a long time in hospital songs and words died away from Kenji’s mouth, and he could no longer sing or speak.The reasons for this are not understood, but it may have been the result of the prolonged medical treatment or the advancement of the disease. He became like a baby and is incapable of caring for himself. Despite this, the marrow transplant was very successful. Inside Kenji’s body his sister’s blood began to flow and the progress of the disease was stopped. Kenji has lost many things but his smile remains. His brave little body has fought against the disease with all his strength. He has a tremendous will to survive and he lives life to the full. He started painting when he was about ten years old and expresses himself through his art. When we look at Kenji’s paintings we can see his love of life. They are a celebration of his triumph over adversity.
Kenji’s mother Mitsuko
私のつたない英語を、ちゃんとした英語に直してこのプロフィールを作ってくれた[かわいい]Lucy[かわいい]さん。

[ぴかぴか(新しい)]ありがとう[ぴかぴか(新しい)]


コメント(0) 
未分類 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。