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感動ポルノ [今を歩みつづけるはなし]

「感動ポルノ」って言葉をご存知ですか?

(Wikipediaから引用)
「感動ポルノ」
2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉
障がい者が障がいを持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。
そこでは、障がいを負った経緯やその負担、障がい者本人の思いではなく、ポジティブな性格や努力する(=障がいがあってもそれに耐えて頑張る)姿がクローズアップされがちである。
「清く正しい障がい者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされることがある。

その、ステラ・ヤングさんのTEDでのスピーチに関してはこちら
http://logmi.jp/34434

    [ー(長音記号2)][ー(長音記号2)][ー(長音記号2)]
今回、NHKさんから、「おはよう北海道」の特集の取材要請があったとき、まず最初に約束したことが
今回の特集の内容を感動ポルノにはしないでください。(感動ポルノにするなら、取材は受けられない)
でした。
担当ディレクターさんが、世の中に当たり前にはびこる、感動ポルノに対して
「強い違和感をおぼえる。」
「健常者といわれる者の、上から目線で障がい者を報道をしてはいけない」
と、おっしゃっていたので
この言葉を信じて[ぴかぴか(新しい)]
これまで受けた他局の取材とは比較できないほどの時間を使って取材に協力しました。

さきほど、NHK「おはよう北海道」のホームページを見ましたら
放送予定
27日
もの言えぬ青年が描く生命のメッセージ

ん???
あれ??????


私が今日まで、活動してきた意味は、まさに
障がいがあろうと無かろうと同じく生き行く人間だと認識した社会になってほしいということ。
芸術の評価は、障がいというバックボーンの有無ではなく、ひとりの芸術家として評価しても良いのでは?つまり、
感性とか芸術を目の前にして感動を受けたとき
果たして、その芸術性以前に、障がいの有無が前面に必要で、それが評価を激しく左右するのか?
という疑問を投げかけてきました。

今回のNHKさんの番組では、そこに焦点を当てる内容にする。とのことでしたので、お受けしました。

さて、27日の放送の内容がとても気になるところですが
NHKさんを信じてみましょう[わーい(嬉しい顔)]

話しは変わりますが
先日、北海道新聞の記事に対して、あるコメントを送りました。
パラリンピックに関しての総特集でした。

私の送ったコメント
9月20日朝刊 15-16面の見出し「残された力 最大限に発揮」を見て、これはどんな視線からの見出しなのだろうと疑問に感じました。
記事の内容がとても良かっただけに、
「残された力」と言ってしまえるのは、四肢が欠けておらず、視聴覚、知力を持った人が、それを完全な状態とした上で、
それの無い(失った)人に対して言っているものだと思います。
15面左にちょうど、フェンシング女子イタリアの金メダリストが「私の体は完全」と胸を張ったと載っています。
残された力ではなく、己(おのれ)の力なのです。
これは、オリンピックもパラリンピックも同じなのだと思います。
この見出しを見て、あれっ?と思う人が世の中に増えてくると良いなと思い、こちらに投稿致しました。


  [ー(長音記号2)][ー(長音記号2)][ー(長音記号2)]
マスコミの皆さんには
自分たちの視点が無意識のうちに、障がい者を上から見ていないかを確認して
感動ポルノを作り上げる行為を思い止まってほしいと願っています。

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