四年前のブログ [今を歩みつづけるはなし]
2010年6月の記事を、四年ちょっと経った今
再びここにのせてみたいと思いました。
タイトルは
すべてにパーフェクトって そりゃ無理だべさ 笑。。。。
2010年は年明けから、賢治の重症肺炎があり、長い入院の中、命の危機を何度も迎え、手術に関しては、究極の選択を求められ
私は長い入院付き添いで心身ともに限界を感じ。。。。
2010年の2月頃の記事なんて、もうハラハラのサスペンスドラマ?(ん?ちょっと違うか?)見ているみたいに
スゴいです
などなど色々あって、
だから、それでもこの記事は少し落ち着いた時期に書かれています。
たった四年前?
もう四年も前?
とりあえず お時間のあるかたは読んでみてください。
ずっとブログを読み続けていてくださるかたは、
ああぁぁそんな事もあったねと思い出してくださる事でしょう。
まだまだ賢治の生活は安定したパターンで送れてはいなくて
それは
どう過ごすのが賢治にとって一番良いのか?を 模索しているからでもあり
また やはり
以前まで慣れ親しんでいた場所を失った穴をどう埋めるか??
受け入れ施設と話し合っては ちょっと進み・・・ また戻り・・・
これを繰り返しています。
前回ブログに書いた新しいシステムへのトライも
気の遠くなるほどの届け出書類や契約や計画が必要
なにより
人材探しの難しさ
人はそれぞれの場面で、関わる相手に対して
『~するべき』であると望みます。
当然の心理です。
たとえば
私のピアノの生徒や保護者のかたは
私に対して、パーフェクト(笑)なピアノの先生を望む のが当然です。
ウチのピアノの先生の息子は
重度障害で、今も重い病気を抱えているから
きっと大変だろう
だから
ピアノがおろそかになっても、そりゃあ仕方ないわなぁ~んて思ってまで
わざわざ、そんな先生の元へ習わせに来ません
病院やショートスティ先のスタッフさんとか、ヘルパーさんとか。
賢治を中心に考えてくださる方たちにとって
私は『賢治のお母さん』で
いつも賢治のことを第一に考えて、賢治を優先するべきと考えます。
これもまた 当然の事。
「やっぱりお母さんが一番ですよ」
「賢ちゃんとお母さんダケの時間も必要」
「賢ちゃんはお母さんにいて欲しいんだね」
「いつ何が起こるかわからないので、お母さんはいつでも連絡の取れる状態でいてください」
ぜんぶ 全部 当然の話し 当たり前の発想
私の両親の友人たちや両親のヘルパーさんたちにしても
両親は娘と一緒に暮らしているのだから
私が年老いた両親を
病院などへ連れて行ってあげるとか
どこかへ連れて行ってあげて楽しむとか
プレゼントをあげるとか
いわゆる『親孝行』が出来るなら
それが望ましい
と思うのが当然で
たとえばお役所とか公的な立場の方々も
これだけ保護してあげているのだから
大丈夫でしょう?
と思うのが当然で
結局
私や 私の生活の
「部分」 「部分」 を見た場合
その部分の私に対して「~だから~すべき」と感じるだけで
私の背景から現状のすべてを 大き~く 広~く見て
そして
小さなひとつひとつの問題に対処するには
私のすべてを知らなければならない事だから
それは
無理ってもので(笑)
じゃあ
トータルで誰が私をわかるのかしら?
という甘えた感情を持ってしまった時
私は孤独を感じる愚か者で(笑)
でもね
すべてにパーフェクトって
そりゃあ無理とわかっていても
例年通り7月に発表会
いよいよ追い込みに入りました。
ピアノ指導者として、私は何も言い訳のネタにしたくありません。
私の大切な仕事ですから
今も毎日
賢治の母として精一杯の努力をしています。
優香の母として
直接何かをしてあげる事は今はほとんどないけれど
いつも彼女を想って
この先を考えています(ほとんど、彼女の足手まといにならない方法 ってぇ情けない事ですけれど)
両親に対しても
何かを頼まれた場合
私は決してNOを言いません。
出来る限り希望に添えるように努力します。
ただ
私自身も知っているんです。
自分が思うほどの重い義務を
誰も私に望んでいないこと。
自分が頑張らなくちゃだめだ!!と思うほど
誰も私の頑張りを気になんかしていないこと
「優等生でいなくちゃ!!」
自分自身だけで勝手にピシピシそんな義務感を課せながら
なぜ
自分で自分を苦しめているのか?
それすらも
自分で選んで、自らやっていることを自覚しているんです。
私って何なんだろぅなぁ~と思う事があります。
みんな
こうして生きているのでしょうか?
誰かに話したい
ただ 聞いてくれるだけでも良いから
「今日こんなカワイイ花を見たよ」
「昨日あんなに鮮やかな色だったあの花の色が、今日はあせていたよ」
「へーー」とか「ふーーん」とか
そんな返事だけでも良いから
私の頭と心の中の ちょっと悲しくて 難しくて 辛い 心配事のゴチャゴチャを
大雑把にひとまとめにして
「なんくるないさぁ」(意味なく突然に沖縄弁.(笑))
と全部理解した人と
こーいう
なんでもない話しがしたい
と思うと
孤独に涙がこぼれます
歳ですね(笑)
桜草は
「さくら」でもなく
英名の「Primrose」 の中に入っているrose 薔薇でもない
私の大好きな桜にもなれず
私の大好きなピンクの薔薇でもない
すごく私らしい花だなぁと思ったのでした
ああ・・・・・・
今夜は賢治が泣き叫んでいる。。。。。(>_<)
午前0時が過ぎました。。。。
賢治、泣きやむと良いな。
あとがき
先日、長くお世話になっているかたから言われました。
頑張り過ぎるんじゃない。
自分の人生、自分が主人公なんだから。
そろそろ、もっと自分の事を考えても良いじゃない?
私より十歳程上で、娘さんをお持ちで、教職にあったかたから言われると
素直に
そうだなぁ〜と思いました。
でも、そのとき同時に私はこの記事のような内容とは別の厳しい現実の中にいました。
私の人生とは全然違った環境を歩んできた人たちと
価値観を合わせられず
自分が持ってしまった「異常遺伝子」が原因となって起こった問題に
どう詫びたら良いのか??
故意でもなく、過失でもなく
運命で持った「遺伝子」
それによって、我が子は充分に苦しんでいる
我が子以外の、いったいどこまで
私はその責任を負って、詫びて、償わなければならないのか?
自分が主人公の人生を考えたいと思える日が来る事を願って
頑張るしかない
再びここにのせてみたいと思いました。
タイトルは
すべてにパーフェクトって そりゃ無理だべさ 笑。。。。
2010年は年明けから、賢治の重症肺炎があり、長い入院の中、命の危機を何度も迎え、手術に関しては、究極の選択を求められ
私は長い入院付き添いで心身ともに限界を感じ。。。。
2010年の2月頃の記事なんて、もうハラハラのサスペンスドラマ?(ん?ちょっと違うか?)見ているみたいに
スゴいです
などなど色々あって、
だから、それでもこの記事は少し落ち着いた時期に書かれています。
たった四年前?
もう四年も前?
とりあえず お時間のあるかたは読んでみてください。
ずっとブログを読み続けていてくださるかたは、
ああぁぁそんな事もあったねと思い出してくださる事でしょう。
まだまだ賢治の生活は安定したパターンで送れてはいなくて
それは
どう過ごすのが賢治にとって一番良いのか?を 模索しているからでもあり
また やはり
以前まで慣れ親しんでいた場所を失った穴をどう埋めるか??
受け入れ施設と話し合っては ちょっと進み・・・ また戻り・・・
これを繰り返しています。
前回ブログに書いた新しいシステムへのトライも
気の遠くなるほどの届け出書類や契約や計画が必要
なにより
人材探しの難しさ
人はそれぞれの場面で、関わる相手に対して
『~するべき』であると望みます。
当然の心理です。
たとえば
私のピアノの生徒や保護者のかたは
私に対して、パーフェクト(笑)なピアノの先生を望む のが当然です。
ウチのピアノの先生の息子は
重度障害で、今も重い病気を抱えているから
きっと大変だろう
だから
ピアノがおろそかになっても、そりゃあ仕方ないわなぁ~んて思ってまで
わざわざ、そんな先生の元へ習わせに来ません
病院やショートスティ先のスタッフさんとか、ヘルパーさんとか。
賢治を中心に考えてくださる方たちにとって
私は『賢治のお母さん』で
いつも賢治のことを第一に考えて、賢治を優先するべきと考えます。
これもまた 当然の事。
「やっぱりお母さんが一番ですよ」
「賢ちゃんとお母さんダケの時間も必要」
「賢ちゃんはお母さんにいて欲しいんだね」
「いつ何が起こるかわからないので、お母さんはいつでも連絡の取れる状態でいてください」
ぜんぶ 全部 当然の話し 当たり前の発想
私の両親の友人たちや両親のヘルパーさんたちにしても
両親は娘と一緒に暮らしているのだから
私が年老いた両親を
病院などへ連れて行ってあげるとか
どこかへ連れて行ってあげて楽しむとか
プレゼントをあげるとか
いわゆる『親孝行』が出来るなら
それが望ましい
と思うのが当然で
たとえばお役所とか公的な立場の方々も
これだけ保護してあげているのだから
大丈夫でしょう?
と思うのが当然で
結局
私や 私の生活の
「部分」 「部分」 を見た場合
その部分の私に対して「~だから~すべき」と感じるだけで
私の背景から現状のすべてを 大き~く 広~く見て
そして
小さなひとつひとつの問題に対処するには
私のすべてを知らなければならない事だから
それは
無理ってもので(笑)
じゃあ
トータルで誰が私をわかるのかしら?
という甘えた感情を持ってしまった時
私は孤独を感じる愚か者で(笑)
でもね
すべてにパーフェクトって
そりゃあ無理とわかっていても
例年通り7月に発表会
いよいよ追い込みに入りました。
ピアノ指導者として、私は何も言い訳のネタにしたくありません。
私の大切な仕事ですから
今も毎日
賢治の母として精一杯の努力をしています。
優香の母として
直接何かをしてあげる事は今はほとんどないけれど
いつも彼女を想って
この先を考えています(ほとんど、彼女の足手まといにならない方法 ってぇ情けない事ですけれど)
両親に対しても
何かを頼まれた場合
私は決してNOを言いません。
出来る限り希望に添えるように努力します。
ただ
私自身も知っているんです。
自分が思うほどの重い義務を
誰も私に望んでいないこと。
自分が頑張らなくちゃだめだ!!と思うほど
誰も私の頑張りを気になんかしていないこと
「優等生でいなくちゃ!!」
自分自身だけで勝手にピシピシそんな義務感を課せながら
なぜ
自分で自分を苦しめているのか?
それすらも
自分で選んで、自らやっていることを自覚しているんです。
私って何なんだろぅなぁ~と思う事があります。
みんな
こうして生きているのでしょうか?
誰かに話したい
ただ 聞いてくれるだけでも良いから
「今日こんなカワイイ花を見たよ」
「昨日あんなに鮮やかな色だったあの花の色が、今日はあせていたよ」
「へーー」とか「ふーーん」とか
そんな返事だけでも良いから
私の頭と心の中の ちょっと悲しくて 難しくて 辛い 心配事のゴチャゴチャを
大雑把にひとまとめにして
「なんくるないさぁ」(意味なく突然に沖縄弁.(笑))
と全部理解した人と
こーいう
なんでもない話しがしたい
と思うと
孤独に涙がこぼれます
歳ですね(笑)
桜草は
「さくら」でもなく
英名の「Primrose」 の中に入っているrose 薔薇でもない
私の大好きな桜にもなれず
私の大好きなピンクの薔薇でもない
すごく私らしい花だなぁと思ったのでした
ああ・・・・・・
今夜は賢治が泣き叫んでいる。。。。。(>_<)
午前0時が過ぎました。。。。
賢治、泣きやむと良いな。
あとがき
先日、長くお世話になっているかたから言われました。
頑張り過ぎるんじゃない。
自分の人生、自分が主人公なんだから。
そろそろ、もっと自分の事を考えても良いじゃない?
私より十歳程上で、娘さんをお持ちで、教職にあったかたから言われると
素直に
そうだなぁ〜と思いました。
でも、そのとき同時に私はこの記事のような内容とは別の厳しい現実の中にいました。
私の人生とは全然違った環境を歩んできた人たちと
価値観を合わせられず
自分が持ってしまった「異常遺伝子」が原因となって起こった問題に
どう詫びたら良いのか??
故意でもなく、過失でもなく
運命で持った「遺伝子」
それによって、我が子は充分に苦しんでいる
我が子以外の、いったいどこまで
私はその責任を負って、詫びて、償わなければならないのか?
自分が主人公の人生を考えたいと思える日が来る事を願って
頑張るしかない
2014-09-24 16:13