階段ゴロゴロ〜入れ替わり!? [笑顔のおはなし]
小学一年生の運動会。
この後すぐに骨髄移植を受けるため入院。学校へ戻ったのは一年半後の小学二年生終わりです。
満面の笑顔で走る賢治
このころはまだ、言葉がありました。
一年半後に学校へ戻れるようになった頃は、ほとんど言葉は無くなっていました。
でも
ビデオじゃなくても
写真って良いですね。
あのころの賢治の笑顔から声まで聞こえてきます。
このころまでに
既に賢治はたくさんの経験をしていました。
二歳から手術に継ぐ手術
最初は一般的なアデノイドの切除や、鼓膜にチューブを入れるものなどでした。
そしてヘルニアの手術が三回。
開頭術が二回。
そして
骨髄移植へと。
100%母乳で、免疫力は得ているはずなのに
生後一ヶ月から気管支炎(風邪)を繰り返して
一週間のうち4日は具合が悪くて熱があり、3日はまずまず元気。
一週間、一週間が、
ああ、きっと今日で熱の日が明ける(下がる)明日は病院の帰りに買い物ができるかな?
という感じで
優香はいつも病院につきあわされて
すっかり待合室遊びが当たり前の子になっていました。
賢治が生まれるまでは、優香とは公園に行くのが日課でしたが
賢治が生まれてからは、ほとんど連れて行ってあげられませんでした。
優香が1歳10ヶ月の時に賢治は生まれていますから
優香の幼い記憶には、お母さんと行った公園遊びの思いでは無いのでしょうね。
伝染する病気は、もれなく病院でもらってきてしまっていた優香
わざわざ病気をもらいに病院へ行くわけじゃないのですが
まだ、お留守番ができない年齢。
近所の友達に頼むにも、賢治の病院通いは、半端なく多くて
家族からは「趣味のように病院に通うな!!」と怒られるほど
賢治だって私だって、そして優香だって
好きで病院に行く人なんていないわぃ
優香がTEDのスピーチで言っていましたけれど
こどもの頃は「弟はいつもおかあさんと入院しているもの」と思っていた
と言う通り
通院、入院、退院、通院、入院。退院〜 〜
でも、↑こんな日々を思い出すことはほとんどなくて
運動会のような笑顔の賢治ばかり思い出します。
それは
笑顔の賢治の写真がいっぱい残っているからかも。
だから今も
賢治が笑った!!
と言えばiphoneを向けてパシャ
そんな親バカです。
人は老いで退行を感じることが多いと思います。
けれど賢治はこの病気のため
幼いときに、「どんどん出来なくなる自分」を感じていました。
くつを履く練習を毎日、毎日
最初は靴に狙いを定めて、足を入れることから始めて(関節が固く、すでに柔軟ではなかった)
靴の中に足をおさめて
かかとの部分の靴を引き上げる
最初は片方を履くのに、30分はかかりました。
30秒ほどで履いてしまう優香は、賢治の横で
「そうそうそう! ケンジ、んーーって、ちから 入れて、足、押してごらん、んーーー」
「じょうずだね〜、出来た出来た。パチパチパチ(拍手)」
「はい、今度は、ここつまんで」
いつの間にか、私が黙っていても
3、4歳の優香先生の指導を受け、賢治は「ここ? んーーするの?」
なんて、玄関で長く長くやっていました。
優香にとって、こんな日々は貴重な体験だったと思います。
障害のあるきょうだいをもつ子の人生は、それはまた大変で
「貴重な体験」なんて簡単に言われちゃ、たまらないでしょうが
出来ない人の身になって
どうやったら出来るか考えること
その人の進度で、少しでも進んだら、一緒に喜ぶ。
「自分は簡単に出来るのに、なんで、こんな簡単なことも出来ないの?」とは思わない心が
ほんの幼いときから
弟を、母と一緒に育てる中で、学べたことは(生来の優しさもあると思うが)
この人生で
誰に対してもバリアフリーな気持ちを持てる良い経験になっていると思います。
この靴履きにしても、ボタン掛け、くつしたを履く、ズボンをあげる。色々いろいろ。。。。書ききれない
もう、健常児と言われる子が、なんなく年齢とともにクリアして行くこと、ひとつひとつ
賢治には特別に練習が必要でした。
そして
悲しいことに
何ヶ月もかけてやっと出来るようになったことが
たった一日で出来なくなっていきました。
昨日まで靴を履けていたのに
昨日までは出来たのに
今日は調子が悪いのかな?
でも、再び出来る日は来ませんでした。
出来なくなって行く自分を賢治は感じて、しょんぼりとうつむいている事がありました。
その不安を私に話したくても、今度は言語がどんどん退行して行きました。
今、全介護となって、賢治はどんな気持ちなんだろうと考えることがあります。
よくあるストーリーで
ベタなパターンが、階段から一緒にゴロゴロと落ちた人と
体と心が入れ替わっているというあれ
先日、永作博美さんと石田ゆり子さんのNHKドラマで見ました。
以前から、
賢治と私、替われたらなぁ。
トイレに行きたい時に自分ひとりで用を足す。
食べたい時に食べたいものを自分の手で食べる。
自分ひとりの時間を自分で行動して楽しむ。
そんな経験を
52歳のおばちゃんの体で申し訳ないけれど
経験させてあげたいなぁ
そうしたら
この運動会の時のような笑顔で(52歳のおばちゃんの笑顔なんだけど)走るかなぁ??
この後すぐに骨髄移植を受けるため入院。学校へ戻ったのは一年半後の小学二年生終わりです。
満面の笑顔で走る賢治
このころはまだ、言葉がありました。
一年半後に学校へ戻れるようになった頃は、ほとんど言葉は無くなっていました。
でも
ビデオじゃなくても
写真って良いですね。
あのころの賢治の笑顔から声まで聞こえてきます。
このころまでに
既に賢治はたくさんの経験をしていました。
二歳から手術に継ぐ手術
最初は一般的なアデノイドの切除や、鼓膜にチューブを入れるものなどでした。
そしてヘルニアの手術が三回。
開頭術が二回。
そして
骨髄移植へと。
100%母乳で、免疫力は得ているはずなのに
生後一ヶ月から気管支炎(風邪)を繰り返して
一週間のうち4日は具合が悪くて熱があり、3日はまずまず元気。
一週間、一週間が、
ああ、きっと今日で熱の日が明ける(下がる)明日は病院の帰りに買い物ができるかな?
という感じで
優香はいつも病院につきあわされて
すっかり待合室遊びが当たり前の子になっていました。
賢治が生まれるまでは、優香とは公園に行くのが日課でしたが
賢治が生まれてからは、ほとんど連れて行ってあげられませんでした。
優香が1歳10ヶ月の時に賢治は生まれていますから
優香の幼い記憶には、お母さんと行った公園遊びの思いでは無いのでしょうね。
伝染する病気は、もれなく病院でもらってきてしまっていた優香
わざわざ病気をもらいに病院へ行くわけじゃないのですが
まだ、お留守番ができない年齢。
近所の友達に頼むにも、賢治の病院通いは、半端なく多くて
家族からは「趣味のように病院に通うな!!」と怒られるほど
賢治だって私だって、そして優香だって
好きで病院に行く人なんていないわぃ
優香がTEDのスピーチで言っていましたけれど
こどもの頃は「弟はいつもおかあさんと入院しているもの」と思っていた
と言う通り
通院、入院、退院、通院、入院。退院〜 〜
でも、↑こんな日々を思い出すことはほとんどなくて
運動会のような笑顔の賢治ばかり思い出します。
それは
笑顔の賢治の写真がいっぱい残っているからかも。
だから今も
賢治が笑った!!
と言えばiphoneを向けてパシャ
そんな親バカです。
人は老いで退行を感じることが多いと思います。
けれど賢治はこの病気のため
幼いときに、「どんどん出来なくなる自分」を感じていました。
くつを履く練習を毎日、毎日
最初は靴に狙いを定めて、足を入れることから始めて(関節が固く、すでに柔軟ではなかった)
靴の中に足をおさめて
かかとの部分の靴を引き上げる
最初は片方を履くのに、30分はかかりました。
30秒ほどで履いてしまう優香は、賢治の横で
「そうそうそう! ケンジ、んーーって、ちから 入れて、足、押してごらん、んーーー」
「じょうずだね〜、出来た出来た。パチパチパチ(拍手)」
「はい、今度は、ここつまんで」
いつの間にか、私が黙っていても
3、4歳の優香先生の指導を受け、賢治は「ここ? んーーするの?」
なんて、玄関で長く長くやっていました。
優香にとって、こんな日々は貴重な体験だったと思います。
障害のあるきょうだいをもつ子の人生は、それはまた大変で
「貴重な体験」なんて簡単に言われちゃ、たまらないでしょうが
出来ない人の身になって
どうやったら出来るか考えること
その人の進度で、少しでも進んだら、一緒に喜ぶ。
「自分は簡単に出来るのに、なんで、こんな簡単なことも出来ないの?」とは思わない心が
ほんの幼いときから
弟を、母と一緒に育てる中で、学べたことは(生来の優しさもあると思うが)
この人生で
誰に対してもバリアフリーな気持ちを持てる良い経験になっていると思います。
この靴履きにしても、ボタン掛け、くつしたを履く、ズボンをあげる。色々いろいろ。。。。書ききれない
もう、健常児と言われる子が、なんなく年齢とともにクリアして行くこと、ひとつひとつ
賢治には特別に練習が必要でした。
そして
悲しいことに
何ヶ月もかけてやっと出来るようになったことが
たった一日で出来なくなっていきました。
昨日まで靴を履けていたのに
昨日までは出来たのに
今日は調子が悪いのかな?
でも、再び出来る日は来ませんでした。
出来なくなって行く自分を賢治は感じて、しょんぼりとうつむいている事がありました。
その不安を私に話したくても、今度は言語がどんどん退行して行きました。
今、全介護となって、賢治はどんな気持ちなんだろうと考えることがあります。
よくあるストーリーで
ベタなパターンが、階段から一緒にゴロゴロと落ちた人と
体と心が入れ替わっているというあれ
先日、永作博美さんと石田ゆり子さんのNHKドラマで見ました。
以前から、
賢治と私、替われたらなぁ。
トイレに行きたい時に自分ひとりで用を足す。
食べたい時に食べたいものを自分の手で食べる。
自分ひとりの時間を自分で行動して楽しむ。
そんな経験を
52歳のおばちゃんの体で申し訳ないけれど
経験させてあげたいなぁ
そうしたら
この運動会の時のような笑顔で(52歳のおばちゃんの笑顔なんだけど)走るかなぁ??
2014-10-19 16:10