#59041;この数カ月に
なにか・・・・っっ#59042;

個展のご報告も中途半端なままでした#59142;すいません!!



明かりも考えず ただ撮ったような#59009;画像ですが
会場へおこしになれなかったかたへ
どうぞ今年の賢治の絵画展を見てやってくださいませ<(_ _)>


























今年も約750名のご来場がありました。
そして個展期間の一週間にはいろいろなことがありました。
いろいろな方々の思いに感謝したり#59130; 励まされたり#59027; うれしくなったり#59117;

回を重ねてうれしいことは
賢治の絵の「成長」と思われる変化をお客様が語ってくださることです。
そして、はじめの頃(5~6年前)に多かった感想
障害や重い病気があるのに描いている 「えらいね#59117; がんばっているね#59116;」
それが今年
病気で障害がある賢治のことは知っているよ
それよりも、彼は
「すごく楽しんで絵を描いているね#59126; 自信を持って悠々と描いているように感じるよ#59128;」
こんな感想に変わってきました。
渡邊賢治は渡邊賢治なんですね。
誰かが彼を分類するものではなく
あるがままを   感じられるままに
そうして彼の絵は存在して行くのだと思いました。

障害や病気のかたをご家族に持つかた
ご自身が病気のかた
みなさん涙しながらおっしゃってくださいました。
「命あることがどれだけありがたいことか教えてもらいました。ありがとう」

今の賢治の年頃に ご自分のお子さん、お孫さんを亡くされたかたは
「どうか賢治くんを大切に大切に育ててあげてください。それを心から望みます」

こういう感想をいただくと またしても やっぱり
渡邊賢治は渡邊賢治なんだなぁ と思います。


「ひとつの風が凪いだ時」にも書いたとおり
私たちがたどってきたこの道が最善とは言い切れませんが
一歩一歩を一生懸命に踏みしめて歩いてきたこの道

これからも一歩一歩踏みしめて、納得しながら歩みたいと思います。

善意から
いろいろな宗教のお誘いがあります。
神の癒しを受けるべきだと

たとえ、神の癒しの奇跡で彼の病気が治り、障害がなくなるとしても
の彼に、あるがままの賢治に
私が奇跡を望むのは
「私は賢治を受け入れていない」と言うのと同じなんです。
私は彼の成長を望みます。
だから彼の興味を伸ばせるように彼の心に近づいた日常を出来る限り送ります。
彼の身体の自由を望みます。
そのために専門的な医療機関に通いリハビリをして賢治自身の力でひとつずつ習得する努力を続けます。
奇跡を望むよりも自分たちの力で一歩ずつ実現することこそ
最良の道と私は思っているのです。
そして、むしろ神は
そんな私たちの努力を喜び、努力のご褒美として何かのお力をくださるのだと私は信じています。

また、ただ何かに参加するだけで、ずっと安定した収入を得られるという夢のようなお話。
善意の方々に支えてもらい、安心して暮らせるという夢のようなお話。
ご提案はありがたいのですが
私たちはこうして、一歩ずつ歩んで参りました。
奇跡や夢を信じないわけではありませんが
厳しい現実の中を一歩ずつ歩んで来ました。
どうぞ
奇跡や夢には飛び込めない私のことを
わかってください。